レディファーストされて考えたこと

相変わらずシアトルにいます。
海外にいると、磁場が違うせいか、考えることや行動が日本にいるときと違う感じがします。

こんなことばかりを書いていると、とんだ「アメリカかぶれ野郎」だと思われてしまうかもしれませんが、
今私はアメリカにいて、こんなことを考えています。

アメリカやヨーロッパにいると、朝から晩までレディファースト責めにあいます。

例えば、男性がドアから出ていくとします。
2,3歩行ったところで、次に出るのが女性(私)だと気づくと、あわてて戻ってきて、閉まりかけたドアを再度開けて私を通してから、ようやく自分も外にでます。

私は外資系企業につとめていて、社長がアメリカ人です。

日本にいても、社長と一緒にいると、レディファーストは常に徹底されます。

エレベーターでは、新入社員のごとく、自分がドアを抑え、ボタンの前に立ち、私が下りるまで、絶対開けるボタンを死守します。
こっちは社長より先に降りるのなんてとんでもないと思うから、両者にらみ合いになります。
それでも結局折れるのは私で、彼はレディファーストしないと天罰が下るとでも思っているかのごとく頑なです。

レディファースト文化のない日本人の私にとっては、それが大変苦痛です。
なんなく、逆差別的なのでは?とにわか仕立てのフェミニスト的発想さえ出てきます。

毎回毎回苦痛に感じるのも芸がないし、せっかくアメリカに来ているのですから、レディファーストの本質について考えてみようという気になりました。

チップの文化で
「大人として、ただのサービスを受けるのは恥ずかしい」
と散々言い放った私にとって、やはりレディファーストというサービスをただで受けるのは恥ずかしい気がします。

(チップ関する記事はこちら)

では、男性にレディファーストというサービスを受けたときに、何を代償と支払うべきなのでしょうか。

うーん。ちょっと下世話な発想さえ出てくる自分がさらに恥ずかしいです。

もとい。

逆にどんな時だったら、レディファーストされても恥ずかしくないか考えてみました。

たとえば、着物を着ていて、小さいバッグを手に持っているような時だったらどうでしょうか。
恥ずかしくないどころか、その状態で、重いドアを上手に開けるのは相当難しいですからドアを開けてもらわないと困るくらいです。
レディファーストの文化をもたない日本男性も、そのような状態だったら自然に女性のためにドアを開けるような気がします。

確かに、外国ではパーティなどで男性が女性をエスコートすることが多いことに気づきます。
一人前の大人の女として居住まいを正している場面では、レディファーストはとても自然な行為なのかもしれません。

男性はそのような女性をエスコートできる自分に誇りを持つのかもしれません。
自分の行為、自分の振舞い、自分の存在に誇りが持てるということ以上の代償など、そうあるものではありません。

レディファースト文化で、女性に期待されているのは、
大人の女性としての凛とした居住まい、たたずまい、振舞い、所作なのかもしれません。

くしくも、シアトルからの帰りの便で映画「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」を見ました。

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ニコールキッドマン演じるグレース・ケリーの、公妃としての凛とした振舞い、所作、神々しいまでに美しい姿を見るだけでも価値があります。

日本で、レディファーストが圧倒的に似合う女性として私が一番に思い浮かべるのは、美智子皇后です。

愛と慈悲に満ちたその姿に、最大限の敬意を表したくなるのはとても自然な感情だと思います。
美智子皇后のようにというのはあまりにもおこがましいですが、いつかレディファーストが似合う内面の美しさをもつ女性になりたいと思うのです。

 

 

たまちゃんより

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