初心にかえる

初心にかえる

FaceBookで長文投稿していた頃と、サイトへの投稿では文体をかえていた。

サイトは、私のことを知らない人も読む可能性があるからと、「です、ます」調に改めたのだ。

 

これがどうもしっくりこない。

リズムが狂うし、歯切れが悪くなるし、自分の書いた文章なのに、何か他人の顔をしている気がする。

第一文章を書くのが楽しくない。

 

それで、数日前からブログの記事については文体を元に戻してみた。

すこし自分らしくなった気がしている。

文章がぶっきらぼうなのは、性格がぶっきらぼうなせいなのでご容赦願いたい。

良くも悪くもこんな私です。

 

ところで、私が勝手に文章修業の師匠と思っているのが、幸田露伴氏を父に持つ幸田文さんだ。

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幸田文さんの文章は、内容も好きなのだが、何よりそのリズムが心地よい。

いつかこんな、すっきりして小気味よい文章を書けるようになりたいと憧れている。

 

「しつけ帖」は、実母を早くに亡くした文さんに父露伴が家事全般を指南するという内容。

父露伴氏の家事への造詣の深さに驚く。

まさに家事ist。

「しつけをする」ということは「暮らしかたのすべてを教える」ということ。
そして「家事を教える」ことがまさにその中心をなすことなのだと感じた。

 

この本の中の「おばあさん」について書いた文章が好きで、何度も読み返している。

「父は花を見て情けを動かすが、おばあさんは認めてなお悠然とおさまっている風がある」

そんな風格を持つおばあさんは露伴氏をしのぐほどの傑人だったらしい。

おっかさんの厳しい躾はじつにありがたいものだった

と露伴氏は言う。

 

おばあさんが、家事について語る言葉が秀逸だ。

「果て知らずという性質を持ったのが家事だから、われからくぎって規矩(きく)にはめなくてはならぬ。
最も明瞭、もっとも早く、能力と体力の限りを尽くしたところが、その人の規矩だから、
そうして一っ時でもいいからのびやかな時間をもたなくては、こせこせしていていけない。」

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長くてすべては引用できないのが本当に残念。

「われからくぎって規矩(きく)にはめる」というのは、

・仕事の範囲を決める
・時間を決める

ということだろう。

それは小松易さんのかたづけにも、小林弘幸さんの副交感神経優位の生活にも、吉越浩一郎さんのデッドライン仕事術にも共通する

家事リストを作ることも有効な手段かもしれない。
「家事リストの作り方」はこちら

実は、私の祖母もどこかこのおばあさんと同じような雰囲気を持った人だった。
(似顔絵は幸田文氏のおばあさんを想像して描いたのだが、結局私の祖母に少し似てしまった笑)

 

幸田文さんの文章が好きなのは、祖母のDNAかもしれない。

 

さて話は戻り、私は子どもたちをちゃんとしつけられているだろうか、と自問するとはなはだ頼りない。

唯一教えられることがあるとすれば「ラブレターを書くようにね」ということくらいか笑

祖母の苦笑いが見えるようだ

 

たまちゃんより

 

 

 

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