
瞑想の時間?
年末年始の片づけで、相当数の本を処分したのだが、その中に「瞑想」に関する本が10冊以上あった笑
中村天風
アルボムッレ スマナサーラ
小池龍之介
宝彩有菜
苫米地英人
(敬称略)
などなど
私の尊敬する人は不思議と瞑想の達人である場合が多くて、それで「瞑想」をすることに憧れている。
とくに優秀なヨギでもある中村天風氏を勝手に心の師と考えるようになってからは、
「人間の最高本能が呼びさまされて、
同時に宇宙の根本主体である、
見えざる気体の中にある神秘の力を分量多く自分の生命の中に受け取れることになる。」
という先生の「安定打座」の瞑想に何度もトライしたのだが、今一つ瞑想ができている実感が持てなかった。
天風会の長老の方が、80になってようやく「安定打座」がわかるようになりました、と書いているのを見て、あと30年瞑想は分からないものなのかと、気が遠くなった。
それで、瞑想は選ばれた人だけができる特別なことで、凡人は何十年も修行が必要なのだと思い、すべての本を捨てた。
ところが、
確信はないのだが、もしかしたらこれは瞑想状態?という時間があることに気づいた。
私のブログの文章の7割は、一日のうちの決まった時間に思いつく。
仕事で行き詰ったときにブレークスルーのアイデアを思いつくのも、7割方同じ時間だ。
家事はラブレターだと気づいたのも、実は同じ時間だ。
一つは「洗濯物を干している時」
もう一つは「自転車に乗っている時」
とくに何かを考えようとしているわけでもないのだが、ふと何かいいことが浮かぶ。
確信はないのだが、それってもしかしたら「瞑想」状態にあるからなのではないだろうか。
確信はないのだが、瞑想って「すること」じゃなくて、「なること」なのではないだろうか。
確信はないのだが、瞑想状態になる方法って色々で、天風先生の「安定打座」にあたるものが、私の「洗濯物干し」なのではないだろうか。
「洗濯物を干している時」と「自転車に乗っている時」に共通することは、
・ほぼ毎日同じ時間に同じことをしている
・慣れた作業なので何も考えない
・インプットもアウトプットもしない
・一定のリズムで手や足を動かしている
・ある程度の時間同じ行為を続けている
このうちのどの要素が重要なのかは確信がない。
でも、確信はないのだが、全部の要素が大切なのではないだろうか。
というようなことも、実は洗濯物を干している時に思いついた。
確信はないのだが、それが本当だとすると、あらゆる家事は瞑想の時間になる可能性があるのではないだろうか。
確信はないのだが、家事ISTになることは瞑想への近道なのではないだろうか。
いや本当。
確信はないのだが。
あまりにも確信がないので、もし同じような経験がある方は教えてください。
瞑想?迷走?名僧?たまちゃんより
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