”リケジョ”考

”リケジョ”考

月9のドラマ「デート」にはまっているというブログを読んだ大学時代の友人からメールが来た

「夫が、あれはリケジョに対する偏見を助長するドラマだって言って嫌ってる。イジメ風潮のお笑いが嫌なのと同質の感覚のようだ。私にはただの可愛い女の子にしか見えないのに。」

と。

そういえば、私はリケジョという表現にあまりネガティブな印象を持たないが、高校生の家人は差別用語だと嫌う。

”リケジョ”を敬称だとする友人もいるが蔑称だという友人もいる。

なぜ”リケジョ”は、使う人によって全く違ったニュアンスがあるのだろうか。

 

たとえば「相棒」を見たからといって、刑事への偏見を助長するドラマだと思う人はいない。

「リーガルハイ」を見たからといって、弁護士への偏見を助長するドラマだと思う人はいない。

なぜ藪下依子は、”リケジョ”への偏見を助長させるのだろうか?

 

一つの可能性として考えられるのは、”リケジョ”のサンプル数が少ないことだ。

 

私と大学時代の友人は理学部にいたので、4年間親しい友人のほとんどが”リケジョ”だった笑

そこにはいろんな”リケジョ”がいて(私を含む笑)、確かに興味や気質は似ているところもあったが、基本的には個性あふれる集団だったと思う。

当たり前だが、気の合う子もいれば、気の合わない子もいて、そういう意味では”リケジョ”でない友達と何も変わりはなかった。

だから私たちは”リケジョ”に対してハッキリしたイメージは持ちづらい。

藪下依子は確かに”リケジョ”だが、同時に可愛くて魅力的な女の子だ。

 

世間的には”リケジョ”の人数がとても少ない。

知り合いの”リケジョ”が私だけな人にとってがは、”リケジョ”=”私”だ。

私のことが好きな人は良い意味で使うだろうし、嫌いな人は悪い意味で使うだろう。

今まで”リケジョ”と知り合うことがなかった人にとっては、「ドラマ」の藪下依子がリケジョとなる。

「リケジョに対する偏見を助長する」と怒る友人の夫にとって、”リケジョ”=”妻”なので、大好きな妻を笑われているようで嫌なのかもしれない。

 

弁護士も刑事もサンプル数が多いので、古美門研介は弁護士を代表しないし、杉下右京も刑事を代表しない。

藪下依子が”リケジョ”を代表してしまうかどうかは、その人の”リケジョ”体験頻度のバロメーターになるかもしれない笑

 

ところで、面白い話には魅力的な脇役がつきものだ。

赤毛のアンのマリラおばさん

半沢直樹の大沢常務

あまちゃんのナツばっば

そして、「デート」はなんといっても藪下依子のお父さん!

お父さん役の松重豊は「孤独のグルメ」以来目が離せないが、今回はすっかり心を奪われた。

 

松重豊演じるお父さんのように、
父親にとっては、、娘がリケジョかどうかなんてどうでもよくて、ただただ愛しい存在でしかないのだろう。

P1200069

 

父にとって愛しい存在だっただろう  たまちゃんより

FavoriteLoadingこの記事をお気に入りに追加