永遠に続くもの

永遠に続くもの

本川達雄氏の「生物多様性」を興味深く読みました。

内容は「生物」の話にとどまらず、物理や哲学にまでおよび、そして「私」とは何かについて考察するという、なかなかエキサイティングな内容ですので、私のように「生物」が苦手な方にもお薦めです。

 

本書の中で著者は、生物にとって一番大切なのは「続いていく」ことだと書いています。

ただし熱力学第二法則であるエントロピーの増大により、細胞は古くなり壊れていきます。

だから、個体として永続することはありません。

建物であれば、法隆寺のように直し続けて永続させる方法もあります。

生物にはそれはできません。

しかし伊勢神宮方式で永続することができるのだと言います。

新しい体をつくり、古い体を捨ててしまうことで続いていくのです。

 

そう考えると、伊勢神宮が建て替えられても伊勢神宮であるように、自分自身が個体として生を終えるのはそれほど怖いことではないような気がしてきます。

 

祖父や祖母、父はすでに他界してしまいましたが、彼らは確かに私の中で永続しています。

遺伝子ということももちろんありますが、私の行動や考え方は、彼らの影響なしにはありません。

言葉、行動が私に残り、そして私を通して子どもたちにも続いていくのでしょう。

 

伝統芸能の襲名というのも、まさに伊勢神宮方式をとって永続する芸能なのだと思います。

それぞれの個人が輝くことよりも、それぞれの個人をとおして伝わっていくことで、芸能自体が永遠に続いていくことが本能的に分かっていたのかもしれません。

先日、能の片山九郎右衛門さんの講演を聞く機会に恵まれました。

トークあり、発声講座あり、絵本の朗読あり、もちろん迫力のシテありの盛りだくさんでしたが、ふとした瞬間に世阿弥自身がそこにいるような気がしたのは気のせいではないのだと思います。

 

さらに言えば、続いていく相手は、必ずしも肉親である必要はないのでしょう。

また、伝えていくことも、伝統芸能のような特別なことでなくても良いのでしょう

 

自分が次の世代に伝えられること、伝えたいことは何なんだろうと、ふと思います。

優しさだったり、愛だったり、思いやりだったり、そんなことを伝えられる自分だったらいいなあ。

そんなことを、ずーっとずーっと続けていくことが生きることなら、長生きするのはとても素敵なことだと思えるのです。

 

襲名たまちゃんより

DSCF0494

FavoriteLoadingこの記事をお気に入りに追加