始末をつける

始末をつける

折に触れ、ふと思い出す言葉があります。

それは祖母が誰かのことを最大級に褒めるときに使っていた言葉です。

「あの人は始末がよい人だ」

無駄口をたたかず、お世辞を言うこともなかった祖母の言葉は重く、私にとって「始末がよい人」というのが「最高に素晴らしい人」の代名詞になりました。

そして、いつか祖母に「始末の良い人」と言われるような人になりたいと思っていました。

ただ、どういう人が「始末の良い人」なのか、具体的なイメージが持てないでいました。

 

最近お茶の会に行く機会があり、長年茶道を教えられている先生の立居振舞をみて「始末のよい人」というのはこういう人のことを言うんだというのがわかりました。

動作や言動、その一つ一つが、まさに「始末がよい」のです。

それは最後までやるとか、決められたようにやるとか、きちんとするとか、とはちょっと違っていて、

言葉ではうまくは言えないのですが、

「始めたこと、使った道具、口にしたことに対して、自分なりに1つ1つしっかりと決着をつける。
次に使う人に迷惑がかからないように、周囲の人を尊重しながら、自分の言うべきこと、やるべきことに手を抜かない。
手間を惜しまず、むだなことをせず、景色良く動く。」

というようなことでしょうか。

そういえば祖母は「決着をつける」という意味でよく「決まりをつける」と言っていたのを思い出します。

それが「始末をつける」ということなのかもしれません。

 

「始末をつける」と似て非なる言葉に

「始めたことは最後までやる」

という言葉があります

親や先生が子どもに言う常套文句で、それが美徳のように思われています。

ただ、私はずっとこの言葉に漠然とした違和感を感じていたのですが、その違和感が何かもわかった気がしました。

おそらくその違和感は「最後が何か」を親や先生が決めてしまっていることから来るのだと思います。

それは「押しつけ」とか「強要」と紙一重のような気がして、決して自分で「始末をつける」ことにはならないように思います。

 

もしかしたら本当に大切なのは、自分自身で始めたことに対して、自分で終わりを決めて、決まりをつけられることなのではないかと思うのです。

終わりを決めることには良い悪いはなく、良い悪いがあるとすれば、それは決まりをつけるときの振舞い方なのではないかと思うのです。

 

振り返って私の生活は「始末のよい人」とは程遠いなあ、とあらためて思います。

なんでも”始め”てしまってはとっ散らかすことが多くてし、いつもバタバタ動いています。

周りに迷惑をかけっぱなしだし、不注意な失言で不快な思いをさせていることも少なくありません。

だからこそ、かなりの頻度でこの言葉を思い出すのでしょう。

 

もしかしたら、そんな私に業を煮やした祖母が、お茶の先生の姿を借りて「始末のよい人」の姿を見せてくれたのかもしれません。

 

「始末が良い」ことを心がけるのは、家事をしているときに抜群に効果があります。

掃除でも洗濯でも料理でも、ほとんどの家事は「始末をつける」ことばかりです。

汚れたものは洗う。

使ったものは元に戻す。

次に使う人のことを考えて整理する。

手間をはぶかず、むだを省く手順を考える。

そういえば、祖母の家事はなんとも始末がよかったなあ。

 

「始末のよい人」への第一歩として、まずは「始末のよい」家事を心がけようかと思う今日この頃です。

 

今日もあなたが幸せでありますように。

 

始末におえない たまちゃんより

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