構える

構える

お茶を始めてほやほやのたまちゃんです。

 

まさに右も左もわからない状態です笑

もちろんお点前などまだまだ先の話で、ただお茶をいただきお菓子をいただき、先生や他の生徒さんのお点前をもの珍しく眺めているだけです。

でもなぜか、自分の日々の所作や心持が変わっている気がします。

お茶おそるべし・・・?

 

お茶のお稽古では、茶碗はもちろんのこと、お茶が入っている棗(なつめ)、お茶を掬う茶杓(ちゃしゃく)などなど、すべての道具の扱い方に作法があります。

まさに型通りの所作を徹底的に繰り返すことこそがお茶のお稽古なんだろうなあ、とぼんやり考えています。

ただ、その型は伝統を守るためだけに何百年ものあいだ伝わり続けたわけではなく、合理的で無駄がなく、それ自体が禅の心を伝える装置としての役割をも持っていたからこそ続いているんだろうなあと、ぼんやり感じたりします。

 

さはいえお茶の所作って、道具立てこそ違えやっていることは家事そのものです。

すると、家事の1つ1つが、今までとは違った意味を持っているような気がしてきます。

 

例えば食器を洗ったり拭いたりするとき。

お点前で茶布巾で茶碗を拭く姿や茶杓を帛紗で拭く姿を思い出すと、自然と背筋が伸び食器を丁寧に扱いたくなります。

 

例えば洗濯物を干すときたたむとき。

帛紗をさばく姿を思い出すと、これまた背筋が伸びて洗濯物をピンと干したりたたんだりしたくなります。

 

うまく言えないのですが、1つ1つの家事の所作に「構え」ができる気がします

生活すべてがお茶のお稽古のような・・・?

 

家事ってやっぱり最強ツールかも。

 

家事手前修行中のたまちゃんより

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