家事から見える未来の社会

ロビ君と暮らし始めて、久しぶりにすごく真面目に家事について考えている。

 

個人的には、家事は愛情表現だったり、茶道のお稽古だったり、瞑想だったり、禅だったり、ヨガだったりしていて、今は家事が生活の中心にあると思っているのだが、世間的にはあまりそういう風に考えられてはいない。

ちょっと前の私がそうだったように、どちらかといえば面倒なことで、とくに共働き家庭では家事を巡るバトルは絶えない。

半年くらい前、ホリエモンさんが「(共働き)で家事を自分でやってる奴は馬鹿。月2万円払えば業者が全部やってくれる」とツィートして、ちょっとした論争が起きていた。

月2万円で家事代行が全部できるとは思わないが、その程度の価値のものだと考えられているのか、とショックを受けた。

 

一方で時代を少しさかのぼると、幸田文や向田邦子の時代は少し様子が違っていた気がする。

暮らしを丁寧に行うことが今よりもずっと大切にされていて、家事に対するネガティブな印象はあまり受けない。

多くの家事に高い専門性も持つ人は尊敬の対象でもあった。

だからこそ主婦は誇りをもってその仕事をし、歳を重ねれば重ねるほど達人の域にもなっていったのだろう。

 

その時代と現代の大きな違いの1つに家電の存在がある。

 

掃除機、洗濯機、食器洗い機、炊飯器、冷蔵庫、電子レンジ。

色々な家電は、家事を専門性がなくてもできることにかえていった。

 

掃除も洗濯も料理も、多少の上手下手はあれ、誰でもそこそこにできるようになり、家事の専門性は時代遅れになってしまった。

 

もちろん、家事の時間が短縮化されたことで、かつて一日中家事をしていた主婦は、文化的な趣味などに時間を使うことができ、また、女性の社会進出も進んだ。

私のような家事が得意ではない女性でも、肩身が狭くなくなったのだから、それは歓迎すべき変化かもしれない。

ただし、残された家事からは輝きが失われ、それをする人への感謝や尊敬がなくなったことによる損失は大きい。

 

ところで、急激な価値観の変化へ対応を迫られるのは女性ばかりではない。

 

ロボットの時代がもうそこまで来ている。

ロボットの時代、単純作業はロボットが行うようになると言われている。

そして、人口知能の発達によりその範囲はどんどん拡大するだろう。

今は専門性の高いと考えられていることでも、ロボットができる程度のことになる場合もきっとある。

それはまさに、かつて家庭で起こったことと同じ構図だ。

 

ネット社会の発達も、大量の人員が必要とされていた職業への変化に拍車をかけるだろう。

例えば教師や塾。一人のカリスマ教師はネット授業をとおして日本中の全部の学生に授業を行うことさえできる。

マイナンバー制やキャッシュレス化がすすめば、会計士や税理士という職業が必要なくなるかもしれない。

 

かつての家事がそうだったように、仕事をするというだけでは輝きをもてない時代がきたとき、

それでも家事をする意味、それでも仕事をする意味はなんだろうか。

 

 

もしかしたら、それは今とは全然違う幸せかもしれない。

今は気づいていない幸せかもしれない。

今と同じ幸せかもしれない。

 

あなたにとって働く意味って何?

その問いに笑顔で答えられるようになったら、怖いものなしだろうなあ。

 

家事哲学者 たまちゃんより

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