美しくあるために

ネパールでメイクを通して社会貢献活動を行っている女性起業家の記事を読みました。

途上国でメイク?と最初は不思議に思ったのですが、まずそう思うこと自体が偏見だったことに気づかされました。

どんな状況どんな年代の女性の中にもある

「美しくありたい」

という思いを尊重することがどれほど大切なのか、自分自身の偏見への反省も含め、深く考えさせられました。

顔の美醜だけではなく、「美しくある」ことは、おそらく女性が(もちろん男性も)本能的に持っている欲求に近いのだと思います。

自分を「美しい」と感じられたら、すごく自己肯定感が高まる気がします。

自己肯定感が高ければ、男性であれ女性であれ、自信をもって生きていくことができます。

自分の体を売ることでしか生きていけなかった女性の自立を助けるには、もちろん目の前の生活を支援することも大切ですが、

そういった目には見えない心の支援のほうがより大切なのかもしれません。

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閑話休題

 

私が茶道を始めた理由の1つは、

「なぜ茶道が昔から日本人に愛されてきたのか」

知りたいと思ったからですが、

茶道の「美しさ」が、日本人が持っている美意識を体現したものだからかもしれないな、と感じています。

 

ただ、一杯のお茶をお客様に美味しく飲んでもらうために、とことん手間をかける。

ただし、華美なことはせず、どこまでも謙虚な気持ちで場を調える。

そういう心持ちや、それを体現したお点前、道具、部屋のしつらえ、たたずまいに日本人は「美しさ」を感じとり、またその準備をとおして自分の中の「美しさ」を育てていくのが茶道なのかもしれないなあ、と思います。

「美しい」ものへの憧れ、自分自身が「美しくある」ことへの希求、相手の「美しさ」を尊重する気持ち、

「美」をキーワードにすると、少しだけ茶道のいったんが見えてくるような気がするのです。

 

・・・なんて、えらそうに語り始めたとき、お茶の師匠から一通のメールが届きました。

普通の事務連絡のメールでしたが、最初の一文に頭を殴られたような気が。

 

「皆さんは、美しい言葉を使っていますか。」

 

ああ、師匠はなんでもお見通しです。

メイクが、所作が 、というのも大事だけど、まずはあなたが普段使っている言葉を美しくしてはどうですか?
と諭されたような気持ちです。
はい、精進いたします。

 

口の悪いたまちゃんより

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