完全を目指すと失うもの・・・

高校生の家人たちは何かと物入りだ。

いちいち精算するのは面倒だし、お小遣い込みで渡すと使途不明金だらけになりそうなので笑

ある程度まとまった支出があったら、レシート等と引き換えにお金を渡すことにしている。

 

特に教えたわけではないのに、理数系男子の家人は毎回お釣りをもって精算にくる。

例えば4635円の支出があると、365円を持ってきて5000円と交換していく。

 

なんて気が利いているんだと感心していたのだが、それを見ていた理数系女子の家人は言った。

「どこまでコミュニケーションを取りたくないんだ・・・」

 

えっ?そうだったの?

 

確かに精算の際に交わされる私と家人の会話は

「いくら?」

「5000円」

以上である。

 

そういえば、私も家人に似たところがある。

資料を作ったりメールを書いたりするときには、誰が読んでも誤解がなく、できるだけ質問がでないような資料を作ることばかり考えている。

友達へのメールなのに、箇条書きにしたりする笑

仕事人としてはそれが有効なことも多いが、普通の生活ではコミュニケーションを拒むような冷たい印象を与えているかもしれない。

 

「あなたの作文は、木で鼻を括ったような文章だ」

そう言っていた中学時代の恩師は、私のそういう欠けを指摘したかったのかもしれない。

 

最近読んだ、絵師狩野永徳を主人公とした山本兼一「花鳥の夢」の中にこんなシーンがある。

凡庸な画才しか持たない父の描く人物に物足りなさを感じる狩野永徳が、父に絵の中の人物がどんなこころなのかを尋ねる。

人を描くには、こころを描かねばならぬのではないかと詰め寄る永徳に父がいう。

「こころは観ている者にあるではないか。おまえは、観ている者のこころが遊ぶ場所をなくしてしまおうというのか。」

 

 

とりあえず、家人のお釣り付のレシートと遊んでみるか。

 

遊び人になりたい たまちゃんより

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