人生の喜び

「茶禅一味」という言葉があります。

もともと禅にも少し興味がありましたが、お茶を始めたらグリコのおまけのように禅もついてきました。

まさに一粒で二度美味しい状態です笑

 

もちろん、まだまだお茶の周辺をうろうろしている段階なのですが、ときどきハッとした気づきがあったりします。

今回、あまりにもハッとしたことがあったので、ぜひお知らせせねば、と。

ただし、私が面白い!と思うことは、世の中のそれとはちょっとばかしずれているようですが笑

 

曹洞宗住職の桝野俊明氏の著書「禅 シンプル生活のすすめ」にこんな言葉がありました。

【時間と労力を省くことは、人生の楽しみを省いているのと同じこと】

 

思えば物心ついてから今まで、私のモットーは

「最小限の労力で最大限の効果」

まさに、時間と労力を省くことに全力を注いできたと言っても過言ではありません。

ところが、それをすればするほど、「人生の喜び」がどんどん失われる???

まあ、なんということでしょう・・・(ビフォー&アフター風)

 

もちろん、得られるものも少なくはありません。

成績だったり、収入だったり。

そういうものを得ることが、とても大切なことなんだと思っていました。

でも、「人生の喜び」というのは、そういうものを得ることではないのだと。

むしろ、時間と労力をかけることそれ自体が「人生の喜び」なのだと。

 

成績を上げるという目的で、日々勉強する。

収入を上げるという目的で、日々仕事をする。

ということではなく、

勉強することそのものが「人生の喜び」だとしたら。

仕事することそのものが「人生の喜び」だとしたら。

 

仕事するために通勤することそのものが「人生の喜び」だったとしたら。

通勤するために電車にのること自体が「人生の喜び」だったとしたら。

電車にのるために駅まで歩くこと自体が「人生の喜び」だったとしたら。

歩くために靴をはくこと自体が「人生の喜び」だったとしたら。

 

もちろん、時々に味わう結果としての気分は喜びだったり怒りだったり哀しみだったりするかもしれません。

でも、結果はともかく、それを味わうまでの時間と労力自体が「人生の喜び」だったとしたら。
朝起きるときに「人生の喜び」を味わう。

顔を洗うときに「人生の喜び」を味わう。

家事をしているときに「人生の喜び」を味わう。

仕事をしているときに「人生の喜び」を味わう。

イライラしているときに「人生の喜び」を味わう。

目的を達成したときに「人生の喜び」を味わう。

ダメな自分に「人生の喜び」を味わう、頑張っている自分に「人生の喜び」を味わう。

 

「人生の喜び」を意識しながら、毎日毎日、毎時間毎時間を過ごす。

最近、そんな風に日々を過ごしてみようと心がけています。

こころなしか、心が穏やかになる気がします。

 

これは悟り?の気分のたまちゃんより

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