「手引き」と「マニュアル」

昨年の暮れ、お稽古に通っている会のお茶会がありました。

会では、公式行事としてお茶会とお茶事を1年おきに行っているので、2年後のお茶会のために今回のことをまとめた「お茶会の手引き」を作ることになりました。

優秀なビジネスマンである(?笑)私は、そくざに「お茶会マニュアル」を作ればいいのね、と思ったわけですが、

「マニュアルにはしないでください」

という禅問答のような指示に、頭の中が?????

 

「マニュアル」ではない「手引き」って何?????

 

そういえば、千利休は、お茶の心得のようなものを紙に書いて残さなかったといわれています。

教えを和歌の形にしたものと言われる利休百首にも、

「習ひをばちりあくたぞと思へかし 書物は反古 腰張にせよ」

という歌があります。

書物を捨てて腰張りにしろというのはなかなか過激ですが、書き物に頼らず心で習え、という教えなのだそうです。

 

わからないことは、とりあえず検索で乗り切ろうとする浅はかな私には、ますますもって?????

 

一休さんのトンチ解きのようになっている私の心を知ってか知らずか、先生はご自身がお茶会で受けたおもてなしのエピソードをいくつか紹介してくださいました。

それは、もてなす側が阿吽の呼吸でお客様の様子を伝えあい、その場その場にふさわしい心働きをし、マニュアルにとらわれず、ときにはお茶の作法にもとらわず、それでいてお点前をとおしてのおもてなしという基本を乱すことがないお茶会でのエピソードでした。

 

具体的なことを書かなかったのは、ここに書いてもきっと何がそんなにすごいのか伝わらないだろうと思ったからなのですが、つまり、確かにこれはマニュアルには書けないなあ、と感じたのでした。

だったら文字で何かを残すことは必要がないかといわれれば、決してそうではないのでしょう。

 

何が必要だったか、どのような役割が必要だったか、失敗したことは何か、上手くいったことは何か

 

そういう文字を読んで理解できることを全員が理解した時点が、次回のスタートラインになります。

スタートラインが今回より先の位置にあれば、今回は行き届かなかった「おもてなし」も次回は手に届くようにもなります。

スタートラインを先に進めるために、今回の経験を共有し、皆の手を引きまずは会のおもてなしの最先端まで連れていくためのものが「手引き」なのかもしれません。

 

そうやって少しずつ少しずつ、スタートラインの位置を先へ先へ進めてきたものが伝統を守るということなのかもなあ。

多くの先人が少しずつ進めてきた伝統の一番最先端の時代にいるのは、相当ありがたいことなのかもなあ。

 

日々のお稽古で、先生は最先端につれていこうとしてくれているんだろうなあ。

伝統の力を貸してもらえる自分になったら、自分でもその先がつくれるようになるのかもなあ。

 

これからは、「手引き」という言葉を見ただけで即座に最敬礼したくなる気がします。

 

手を引いてもらうばっかりの たまちゃんより

 

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