病は不安から?

自転車ですっころんだ家人シリーズ第三弾

強く打った鼠蹊部の痛みで、今にも死にそうだった家人。

いつもの整形外科で「大丈夫」と言われた翌日には、松葉づえをつきながら笑顔で大好きな学校に戻っていった。

まだ痛いはずだし、いつもと違う歩き方で全身筋肉痛になっているというのだが、怪我をネタにして笑顔を見せるくらい急回復している。

実はこれには理由がある。

今回救急車で運ばれた大学病院は、前回自転車ですっころんだときと同じ病院だ。

この近所には病院が多いのだが、救急車を呼んでも、なかなか受け入れ先が決まらないことがよくある。

すべての病院で断られて、遠くの病院に運ばれたというのはよく聞く話だ。

例外は、以前その病院にかかったことがあるという”実績”

診察券を持っていますというのが、なぜか水戸黄門の印籠のような威力を持つ。

前回は”実績”がなかったので、救急車が来てから30分以上病院が決まらず、なんとか受け入れてもらえたのが、歩いて5分の大学病院。なんとも皮肉。

ハンドルでお腹のあたりを強く打ったため、内臓の出血がないか綿密に調べてくれた。

そちらは異常がなさそうだと言われ、本人が一番痛いと訴えていた足の小指の診察をするのに、整形外科にまわされた。

そこからが良くなかった。

2時間またされたあげく、いったん診察室に入ったものの、緊急性はないから午後に再度来るようにといわれ、さらに1時間待ったあげく、どう見ても歩けない状態なのに、打撲だからそのまま帰って良いといわれた。

先生は、カルテとレントゲンとケガの場所は見るのだが、痛がる本人の顔を一度も見なかったのだ。

帰れと言われても、痛さで車いすから立ち上がることすらできない。

しかたなく、車いすを借りてタクシーに乗せ、近くの整形外科に行ったところ、足の小指を骨折していることがわかった。

結局、朝8時に骨折して治療をしてもらえたのが8時間後。

末端部の痛みは相当にきつかったはずだ。

その後夜中に嘔吐したため、心配になり再度同じ病院に行ったのだが、夜間だったため研修生が応対。

なぜか先生もオロオロするばかりで、結局診察してもらったのは5時間くらい経って通常の診療時間になってからだった。

そんな事情で、家人はこの病院にはすっかり不信感をもってしまった。

しかし皮肉にも、今回は以前に治療でかかった”実績”があるので、すぐに受け入れてもらえた。

今回は、鼠蹊部近辺の血管の損傷が一番心配だということで、念入りにCTなどの検査をしてくれた。

結果大事がないことを確認してもらえたのはありがたかったのだが、痛みに対するケアが全くなかったため、退院後痛みが増すことに不安に感じた家人は、前回と同様に他の整形外科に連れて行ってほしいと訴えてきたのだ。

そして、いつもの整形外科の先生に「大丈夫」と言ってもらえた安心感が彼を一気に回復に向かわせたのだろう。

病は不安から。
元気は安心から。

大学病院は本当にありがたい。

24時間の救急受け入れ態勢があるおかげで、どれだけ安心できるか。

また、検査の質も一般の開業医とは比べ物にならない。

だから多くの人が助けをもとめ、多くの命を救うことができる。

ただ、一人の患者にかける時間が限られているため、患者の気持ちに寄り添う時間をとることは難しい。

その時間を削ることで救うことができる命もあるのだから、それは役割として正しいとも思う。

しかし、患者は不安を抱えたまま元気になるのは難しい。

そういう意味では、ある程度の治療が終わったら、カルテをすべて患者に渡してくれるとありがたい。

今回も改めてMRIをとるなど、検査費用がかさんだが、それを減らすことで、社会問題である医療費削減にも貢献できる。

そのカルテをもって、再び同じ病院に戻るもよし、他の病院に行くもよし。

虎の門病院の高野先生が言っていたHBM「Human-Based Medicine」(人間のための医療)に必要なのは、それぞれの医療機関がそれぞれの得意分野を最もいかせるような仕組みづくりと、患者と医師が良い意味で依存しない関係性を作ることなのではないだろうか。

家人の笑顔を見ながら、ぼんやりそんな事を考えている。

たまちゃんより

FavoriteLoadingこの記事をお気に入りに追加