タイムマシンを手に入れろ!

あるお茶席でのこと。

床の間に、徳川家康公が描いた大黒様の絵の軸が掛かっていた。

徳川家所蔵のものをお借りしたのだという。

子どもの落書きよりはちょっと上手な、なんだかユーモラスな絵だった。

 

 

お茶の世界では、最初と最後に必ず床を拝見する。

お茶席でも、茶事でも、お稽古でも。

 

茶室に入ったら、まず床に向かう。

一礼して、軸、花、香合などを拝見し、最後にもう一礼する。

 

 

床の設えの中でも、茶掛と呼ばれる軸は、もっとも重要だと言わはれる。

多くの場合、名僧の手による禅語がかけられていることが多いが、

今回の茶席のように画や和歌などがかけられていることもある。

 

物に対して一礼するというのは、独特な文化だなと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。

書き手がそこにいるのだと思い、書き手に対して一礼するのだという。

 

ということは、今回の茶席では、床にいらっしゃる徳川家康公に一礼したことになる。

ひえーー、と思いながら一礼していて、突然分かった。

 

伝統を守るというのは、タイムマシンを作り続けていくということなんだ。

伝統に連なるというのは、タイムマシンに乗せてもらうということなんだ。

伝統の型というのは、タイムマシンに乗れる身体の形のことなんだ。

 

茶室に入り、床に一礼し、軸を見上げる。

その瞬間に私はタイムマシンにのり、徳川家康公の面前に連れてきてもらえたのだ。

お茶のお稽古のとき、お点前をする私はタイムマシンにのり千利休に会い行っているのだ。

 

 

伝統なんて大っ嫌い、と思っていた。ずっと。

既得権的な価値観にしばられた堅苦しいだけの世界、と毛嫌いしていた。

だから、伝統だらけの日本のこともそんなに好きではなかった。

そして、そこに連なる自分のこともそんなに好きではなかった。

 

 

ところがどっこい、伝統ってなんかすごいなあ、日本はすごいなあと自然に感じ始めている今日この頃。

それもそのはず。

伝統というのは、大きな大きなタイムマシンなのだから。

 

 

伝統がタイムマシンだと思うと、腑に落ちることがたくさんある。

 

たとえば家人の学校でのこと。

彼が通う中高一貫校には伝統校らしい運動会がある。

最終学年がその運動会を自分たちで運営する。

運動会と一言で言っても、一年間かけて生徒だけで準備・運営をする大がかりなものだ。

前年までの運動会の形を徹底的に検証し、好きなだけ新しい型を試し、失敗もし、よりよい運動会を模索し、やり切る。

なんでそんなことができるのかな、と不思議に思っていたが、ようやくわかった。

それが伝統の力なのだ。

彼らが偉大なタイムマシンを持っていたからなのだ。

何代も前の先輩にいつでも会いに行き、知恵を借りることができるタイムマシン。

自分たちも、後輩のためにそのタイムマシンを作るのだという自覚。

そのタイムマシンはちょっとやそっとで壊れるものではないという信頼。

そんなタイムマシンを持っていて、それに乗れるということは、本当に本当に自由なことなのだ。

 

日本には色んなタイムマシンがある。

茶道に限らず、いろんな「道」として続いているものは、その一つだろう。

この国にいると、タイムマシンを手に入れるのは意外とたやすい。

それはとても幸せなことだと思う。

タイムマシンを手に入れる方法はただ一つ。

自分がそこに連なるという自覚をもつことだ。

 

一方で、伝統を壊す、伝統が絶えるという話を聞くことも残念ながら少なくない。

それは、偉大なタイムマシンを破壊して消滅させてしまうということなのかもしれない。

 

リアルタイムマシンも欲しい たまちゃんより

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